八幡駅徒歩10分くらいの所にある、八幡の藪知らずをご存じでしょうか。
心霊スポットや禁足地で調べると上位にヒットするので、心霊スポット系のコンテンツが好きであれば多くの人が知っている名所です。

八幡の藪知らずとは何なのか

八幡の藪知らずは江戸時代より伝わる禁足地で、足を踏み入れると二度と出られない、神隠しに合ってしまうなどの都市伝説が残っています。
江戸時代の紀行文、旅行文を見ると八幡に関しての記述には必ず『八幡の藪知らず』について記載があるそうで、それだけ当時は有名で畏れられていたのでしょう。

有名な逸話では、徳川光圀(水戸黄門)がこの藪へ入り、妖怪等に襲われながらやっとの思いで帰還したという話や平将門の首を守った家臣6人が、この地で泥人形になったなどの都市伝説があります。

看板の写真が見づらいため、文字起こししました。

不知八幡盛 しらずやわたのもり (通称 八幡の藪知らず)

江戸時代に書かれた地誌や紀行文の多くが、八幡では「藪知らず」の事を載せています。
そして「この藪余り大きからず。高からず。然れども鬱蒼としてその中見え透かず。」とか、
「藪の間口漸く十間(訳一八メートル)ばかり、奥行きも十間に過ぎまじ、中凹みの竹藪にして、
細竹・漆の木・松・杉・柏・栗の樹などさまざまな雑木生じ……」などと書かれたりしています。
が、一様にこの藪知らずは入ってはならない所、一度入ったら出てこられない所、入れば必ず祟りがあると恐れられた所として記載され、「諸国に聞こえて名高き所なり」と言われて全国的に知られていました。

入ってはいけない理由については・最初に八幡宮を勧請した旧地である。・日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が陣所とされた跡である・貴人の古墳の跡である・平将門(タイラノマサカド)平定のおり、平貞盛(タイラノサダモリ)が八問遁甲の陣を敷き、
死門の一角を残したので、この地に入ると必ず祟りがある。・平将門の家臣六人が、この地で泥人形になった。……

と、いろいろ言われてきました。中でも万治年間(一六五八~六一)水戸黄門(徳川光圀)が藪に入り神の怒りに触れたという話が、後に錦絵となって広まりました。

「藪知らず」に立ち入ってはならないという本当の理由が忘れ去られたため、いろいろと取り沙汰されてきたものではないでしょうか。

また、その理由の一つとして、「藪知らず」が、「放生池」の跡地であったからではないかとも考えられます。
古代から八幡宮の行事に「放生絵」があり、放生会には生きた魚を放すため、池や森が必要で、その場所を放生池と呼びました。藪知らずの中央が凹んでいることからすると、これは放生池の跡であるという可能性が十分に考えられます。

市川市周辺地域は中世に千葉氏の支配下にありましたが、千葉氏の内紛で荒廃し、八幡宮の放生会の行事が途絶えてしまい、放生池には「入ってはならぬ」ということのみが伝えられてきたことから、以上のような話が作られていったものと思われます。
「不知八幡森」の碑は安政四年(一八五七)春、江戸の伊勢屋宇兵衛が建てたものです。

市川市教育委員会

注釈 

『八問遁甲』 占術の一種。八卦八門八星を立て、それに冬至より立冬に至る各節を配して盛衰、吉凶を占う法で、出陣や出向の際に用いた。

『放生会』捕らえた生き物を池や野に放し、日頃私達が生きるために命をいただいている生き物を供養し、感謝を捧げる神事。

錦絵 「不知藪八幡之実怪 しらずのやぶやわたのじっかい」千葉県立図書館 菜の花ライブラリーhttps://e-library.gprime.jp/lib_pref_chiba/da/detail?tilcod=0000000014-CHB1696417

夕方に足を運んだ私は雰囲気抜群でなんとも言えない怖ろしさがありました。
八幡駅近くに足を運んだ際は、ぜひ、八幡宮と一緒に観光してみてはいかがでしょうか?